
第九話 牛刀の舞い「庖丁、牛を解く」
料理人に丁、魏の国の王、文恵の前で、牛の肉をさばくことになった。
一頭の牛が、丁さんの手と肩と足と膝のしぐさにしたがって、みるみる肉と骨に解体され、牛刀は舞うように軽やかにうごき、その刃先からは、サクサク、ザクザクと音たち、終始、まるで古代王朝の舞楽の楽曲の数々に匹敵するリズムと音色を奏でつづけた———
料理ショーが終わると、王は感嘆し、丁に言葉をかけた。「ああ、すばらしい!。技を極めるとは、このようなことなのか。」
料理人の丁は、牛刀を置いて、答えた。
「私の求めるものは、手先の技ではなく、"料理道"です。肉牛を初めて扱ったころは、ただもう、その大きさだけに目を奪われていました。それから三年が経ち、その大きさは気にならなくなりました。今では、私は、こころの目で牛を見ており、五感はこころの目に従って働くようになりました。そうすると、自然に、牛の肉と皮、肉と骨の間の隙間が大きく見えてきて、牛刀の刃は、その空洞にそって動いていくだけなのです。骨や肉が結ばれたところや大きな骨の塊のところでも、間違って切ってしまうことはありません。腕の良い料理人は、一年ぐらいで刃こぼれがきて、牛刀を取り替えます。並の料理人は、骨をたたき切っていますから牛刀をひと月ごとに取り替えます。私の牛刀は、数千頭の牛をさばいてきて十九年になりますが、その刃さきは、今、研いだばかりのように刃こぼれがありません。なぜなら、肉牛の関節には隙間があり、一方の牛刀の刃先には厚みがありません。その厚みのないものが隙間に入っていくのですから、その場は、誠に広々としたもので、刃先はゆとりをもって動かせるのです。だから、十九年も使っても、私の牛刀は、今、研いだばかりのように、刃こぼれがありません。しかし、切りさばくのが難しい箇所では、毎回、こころを引き締め、手元を見つめ、ゆっくりと、そして、極めて細やかに牛刀を動かします。その箇所の作業がすむと、いつも私は牛刀を抜き取り、背すじを伸ばし、四方を見回し、どうだい、といった思いでフッと息をつき満足し、牛刀の血をぬぐって、一端、それを鞘にゆっくりと収めるのです。」