
第二話 巨大なヒョウタとセンダンの樹
ある日、論理学者の恵施が友人の荘子に言った。
「魏の王からもらったユウガオの種を植えたら、とてつもない大きさのヒョウタンが実った。その瓢箪を水筒として使おうとしたら、量が入りすぎて、重くて持ち上らない。それでは、柄杓に使おうとして、何分の一かに割ってみたのだが(あまりに円周が大きいため、柄杓の大きさの円弧の部分では)平たくなってしまって、水をすくうことができない。このように、とてつもなく大きいということは使い道がないといったことなんだね。結局、こわしてしまったよ。」
荘子が答えた。「それは君が、とてつもなく大きいものの使い道を知らないだけのことだよ。ひとつ、ものの使い道について面白い話をしてあげよう」
宋の国の人で、あかぎれの手を治す薬を作れる者がいた。その薬によって、彼の一族は、昔から絹わたを水にさらす仕事を専業としていた。ある日、その薬のことを聞き知った旅の人が尋ねてきて、薬の作り方を教えてくれれば、百両を支払う申し出た。そこで一族は集まり協議した。自分たちはこの薬によって絹わた水にさらす仕事ができているが、仕事によって得る報酬は五、六両である。ところが、たった一回の引取きで百両が稼げるなら、こんなにおいしい話はない。あかぎれの薬の作り方を教えることにしよう。
その作り方を買った旅の人は、呉の王のところに行って、あかぎれの薬が水上での戦いに有効であると説得した。呉は越の国とそのとき戦っていたので、王は旅の人を軍隊の指揮官として登用し、さっそく、戦場に差し向けた。季節は真冬、戦場は水上であった。(越軍はあかぎれによって戦力を矢い、呉軍はあかぎれの特効薬によって充分に戦うことができた)新人の指揮官は大いに敵軍をうち破ることができたのだ。
この手柄により、旅の人は出世のチャンスをつかみ、その後も王の信頼を得て、とうとう国の一部を与えられて領主にまでなったのだ。
このように、あかぎれの手を治す薬は同じであるが、その使い道によっては、一方は領主になり、一方は絹わたをさらす職人のままである。